ご飯作りたくない「料理が苦痛」な人を救う本多理恵子さん【セブンルール】

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「ご飯つくりたくない」から「料理が苦痛」になってしまった、言いたくても言えなかった日本の主婦の呪縛を解放する、作業もこころも楽にしてくれる指南者が鎌倉にいました。主婦でも、共働きでも、めんどくさいけど作らないと。。という罪悪感を抱えずに、できる範囲で楽しむ食事作りを教えていらっしゃいます。

 

本多理恵子さん プロフィール

 

本多理恵子(ほんだりえこ) 54歳(2019年10月時点)

出身:群馬県

子育てのために鎌倉に引っ越し
「自分で商売をやってみたい」という思いだけで、
資格・経験ゼロでありながら
自宅を改築して「Café Rietta」を2007年に開業。

「実家が菓子店だったこともあり、息子に働く姿を見せたいという夢があった」

 

カフェと併行して見学型の料理教室
「お気軽料理サロン」を主宰し人気を博す

「実は私も料理は元々好きではなくて。家と教室で2回作るのは疲れるし、面倒と思う部分を省いたら好評だった」

 

願いは「お客様に全力で<気晴らし>してもらうこと!」
そのためにランチ・料理サロンとも全力で

思い付いた事はなんでも実行するのが好き、そして結構すぐ飽きる

夫一人、息子一人。嵐ファンクラブ会員。

1人息子が米国に進学した寂しさを埋めるのは、ファンクラブに入っている嵐の「松潤」の姿。

  • 野菜ソムリエ
  • オリーブオイルソムリエ。
  • スパイス検定2級
  • ホームパーティースタイリスト資格所有。
  • 2018年11月『料理が苦痛だ』出版

就職先で出会った夫と結婚後に鎌倉へ引越し、翌年「カフェリエッタ」を開店

 

出典 鎌倉タウンニュースカフェリエッタ

 

本多理恵子さん ブログ

主宰されているカフェリエッタのオフィシャルブログはこちら。

https://ameblo.jp/caferietta/

本多さんのブログはボケとツッコミが繰り広げられていて、ニヤニヤが止まらない面白さ。

料理の才能もすごいけど、文才もすごい。

気付いたことですが
私はプロデューサーが欲しい
ということ
色々できる
そして
色々やってみたい
だけど
もうすでに飽和状態
思考、企画、視察、アクション、告知、対応、管理・・・
全部
自分内手工業
まさに
チグリス・ユーフラテス川状態であります
(は?)
いずれ
「君を世界を見せてあげるよ」
「僕に任せて」
という
白馬の王子ならぬ
切れ者のイケメン
現れないかな
あ!イケメンじゃだめんだ
にやにやして仕事にならない
求む
仕事ができるちょうどいい感じのイケメン
条件:話が簡潔&オチがある、そして面白い
結構マジなのであります
だれか強力な助っ人が現れることを
意図しつつ
怒涛の今週
乗り切ります!
え?
クリスマスといえばチゲ鍋ですよね!
(いいえ、違います。チゲーよ!)
ですが
奥さん!
味噌とコチュジャン
同量を湯にとくだけなんですよ!
素材から出汁でるのでね
だって
赤いからクリスマスカラーですよ
ネギだって散らすから
緑いろもおさえているもん
そして何より
うまうま

本多理恵子さんが出版されている本

▽エッセイ本、レシピは少しだけ紹介されています。

「作り続ける料理」「考えるづける献立」は愛情の前に「日常」だ。

この言葉がヒットし、激しくうなづいているあなたにぜひ読んでもらいたい。

 

▽こちらもレシピは少しですが、どうやったらしんどさから解放されるか、解決策とテクニックが載っています。この考えに沿って行うことで気持ちがすこしでも楽になり、また作ろうかなと思うきっかけ作りになる本です。

 

あ、こんな感じでいいんだ。と、目からうろこが落ちること間違いない。愛情優先して、自分が犠牲になるなんて絶対だめ。日本のお母さんはだいたい頑張りすぎてるんです。子どもはその姿をしっかりと見ています。母が頑張るかたちが当たり前とおもうイメージを自分で作り上げてしまって次の世代へそのまま頑張りを引き継いでしまっているのかもしれません。

 

もう、お手上げ。もう、無理。と思ったなら、さっさと白旗をあげて、自分ができる範囲で手抜きをして家族も幸せに、自分も幸せになりましょうー。お母さんが頑張りすぎて疲れてしんどい様子を見るのは子どももつらいんです。私の母がまさにその状態で、子どものときはその疲れた姿を見るのがつらかったです。

 

そのうち母は、毎週どこかでお好み焼きをして、冬は毎日のようにお鍋を作ったりしていました。あなたのできる範囲、それで、いいんですよ。

(わたしはそれで育ちました笑)

 

本多さんはそれを明文化してくれたパイオニアだと思います。チグリス・ユーフラテス川の手工業制ではなく、ずぼら手ぬき工場でいきましょう 🙂